人生を振り返るつもりはなかった日
― パリで、立ち止まるという選択 ―
この旅で、人生を振り返ろうと思っていたわけではない。
ただ、歩いて、眺めて、少し静かな場所に行きたかっただけだ。
イタリアを旅し、ローマで足を止め、
パリに来てからも、私たちは「見どころ」を追いかけてはいない。

朝のセーヌを歩き、
カフェでコーヒーを飲み、
その延長線上で、ふと向かったのがモンマルトル墓地だった。
観光地としてのモンマルトルとは違い、
ここは驚くほど静かだ。
高架橋の下に広がる墓地は、
重々しさよりも、時間の層を感じさせる場所だった。
誰かの名前が刻まれた石。
風に揺れる木々。
花を手向ける人と、犬を連れて散歩する人。
「人生について考えよう」と思わなくても、
ここでは自然と、
これまでの選択や、遠回りしてきた道が浮かんでくる。
後悔ではない。
反省でもない。

ただ、「ここまで来たんだな」という感覚。
二人とも、言葉が少なくなった。
無理に感想を共有しなくても、
同じ空気を感じていることは分かる。
墓地を出て、少し歩いたあと、
サン・ルイ島へ向かう。
ノートルダムのすぐ隣なのに、
時間の流れが一段ゆっくりになる島だ。
橋の上で立ち止まり、
セーヌの流れを眺める。
水は、何も語らない。
それでも、見ているだけで気持ちが整っていく。
「若い頃だったら、
もっと先を急いでいたかもしれないね」
そんな一言が、ぽつりと落ちた。
今は、
何かを“足す”旅よりも、
削ぎ落とす旅の方が、しっくりくる。
午後は、パンテオン周辺を歩いた。
観光名所から少し外れた坂道。
学生街の静けさと、古い建物の重み。
ここでは、
「もし違う人生を選んでいたら」という想像が、
不思議と苦しくならない。
どの選択も、間違いではなかったと、
素直に思える。
それはきっと、
今の自分を、ようやく肯定できる年齢になったからだ。
夕方、再び街へ戻る。
パリは、何事もなかったように、いつも通りだ。
それでいい。
人生を振り返るために、
特別な場所へ行く必要はないのかもしれない。
ただ、少し静かな道を選び、
立ち止まる時間を持つだけでいい。
この日のパリは、
答えをくれたわけではない。
でも、
「急がなくていい」という感覚を、
確かに残してくれた。



