ゴーダ、木曜日の朝
― チーズと時間が行き交うマルクト広場 ―

オランダを旅していると、
「国そのものが、きちんと生活している」という感覚に出会うことがある。
ゴーダの町も、まさにそうだった。
朝、駅から歩いて中心部へ向かう。
道は平坦で、運河が静かに街を縁取っている。
観光地というより、暮らしの延長線に、
今日の目的地――マルクト広場がある。
木曜日の朝。
ここでは、春から夏にかけてチーズ市が開かれる。
まだ広場が完全に賑わう前、
石畳の上に整然と並べられていくのは、
黄金色の大きなチーズの塊。
丸く、ずっしりと重く、
どれも同じようで、ひとつとして同じではない。
ゴーダのチーズ市の歴史は、14世紀まで遡る。
この町は、チーズの生産地ではなく、
「取引の場」として発展してきた。
周辺の農家が作ったチーズが集まり、
ここで価格が決まり、
品質が確かめられ、
ヨーロッパ各地へと運ばれていった。
だからこの市は、
単なる観光イベントではない。
町の成り立ちそのものなのだ。
白い服に麦わら帽子、
木靴を履いたチーズキャリアたちが現れる。
担架のような木枠にチーズを乗せ、
小走りで広場を横切る姿は、
どこかユーモラスで、
それでいて真剣だ。
彼らの動きには、すべて意味がある。
走る速さ、置く位置、
計量の所作。
長い年月の中で磨かれてきた「型」が、
今もそのまま使われている。
交渉の場面も、あえて再現される。
買い手と売り手が手を打ち合い、
価格を決める仕草は、
かつての商取引の名残だ。
40代になって、
こうした光景を「かわいい」だけで終わらせなくなった。
その背景にある時間や、
繰り返されてきた営みを、
自然と想像してしまう。
広場の縁に立ち、
少し離れたところから眺める。
一人旅のいいところは、
立ち止まる時間を、
誰にも気兼ねせず持てることだ。
観光客の歓声、
カメラのシャッター音、
その中に混じって、
地元の人の穏やかな視線がある。
この町にとって、チーズ市は「特別な日」ではあるけれど、
決して「非日常」ではない。
それが、ゴーダの美しさだと思った。
市がひと段落すると、
広場はまた、元の顔に戻っていく。
チーズは運ばれ、
石畳が姿を現す。
近くのカフェで、コーヒーを一杯。
チーズは、あえて頼まない。
今は、余韻だけで十分だった。
ゴーダのチーズ市は、
味覚のための場所ではなく、
時間を味わう場所だった。
一人で旅をしていると、
「自分は何を見たいのか」が、
とても正直になる。
この日の私は、
チーズそのものよりも、
何百年も変わらず続いてきた
人と町の関係を、見ていたのだと思う。
そしてそれは、
これから先の時間をどう生きるかを、
静かに考えさせてくれる旅でもあった。



